We ship worldwide. From Japan, with care.

about


ABOUT I STILL AM    
    

I STILL AMは、CERAMICS AND LIFESTYLE GOODSを販売するオンラインショップとして誕生しました。*K+Pことわたくしが作る酒器&うつわや花器&アロマスタンドや、NYで人気の隠れ家レストランで使用されていたアートなうつわや所縁のあるアーティストの写真などを販売。 ”バランス”を大切にし、魅力的な職人たちの創造的な作品を厳選し、アートと機能美を兼ね備えたデザインを日本のコミュニティや世界へ届けて行きたい。
ネーミング
  
とっても迷いまして、納得できるまでに時間がかかり候補を絞りましたが、”これに決まり!”となかなか決断できないでいました。そんな時に、イギリスのライフスタイル誌CEREALを見ていて、NYで馴染みのレストランやSHOPをフォトエッセイ風に厳選して紹介している中、ファッションデザイナーPhilip Lim のNYについて書かれたエッセイを見つけました。私がGMだった隠れ家レストラン&バーに時々食事にやってきていた彼は、いつもスマートで優しいオーラと香りをまとっていました。Philipは同じストリートのほぼ向かいにフラッグストアをオープンさせ、オープニングパーティーにも招待してもらいました。その際に記念で作られたオリジナルのグリーンのレザーカードケースを頂きました。私はとても気に入っていて、今も大事に使い続けています。そんな彼が綴ったストーリーの一節に ”I STILL AM”というフレーズが出てきたんですが、私はパズルのピースが見つかった感覚がして、”自分もまさにニューヨークに恋していたんだとうなずいていました。今でもなおそんな気持ちが自分に流れている” ことに共感を覚えました。わたしは I STILL AM IN LOVEなモノたちをうつわやアートとして表現したり、過去やこれから出逢う人やモノから受けるインスピレーションを大事にして、みなさんとその体験をシェアしたり繋がっていけたら幸せかなあと思っています。


バランス
 
いろいろなモノやヒトとの出会い、いままでの体験から”バランス感”っていうのがひとつテーマだと感じてきました。学生時代、友人たちの影響もあって音楽やアメリカンファッションに夢中になり、大学で憧れの東京へ、ナイトクラブに通い音楽とダンスに夢中になりレコードを集め始めました。コミュ力はあったので物怖じせず海外に行ったり、人との出会いや会話を楽しみました。学生の時から夢だったセレクトショップを出したかったので渋谷・原宿界隈のショップで働きはじめて、そこで自分が接客してモノを売ることが好きなんだと気づきました。インテリアやプロダクトデザイン好きな仲間からも影響を受けていました。NYに移住してからも、フリマや60&70年代のポップなデザインな家具やプロダクトを販売するショップやミュージアム&ストリートで様々なアートと出会うことができました。本業が日本酒のソムリエそしてレストラン業へと変遷していく中、必然的にうつわや酒器をセレクトすること、テーブルコーディネーションやメニューデザインであったり、店内装飾や空間音楽など自分で演出できる機会も増えていきました。素晴らしいシェフたちとともに仕事をすることで、料理を組み立てて一皿を完成させる時の”足し算引き算によるバランス”の妙技も体験し、ソムリエとしてもうまい日本酒や料理然り、器との相性を見極めて世界のお客さんと体験をシェアさせてもらいました。様々な経験から人や物が持つ長所・よいところをどう活かして調和させてまとめていくことが自分の得意であることだと気づき、”バランス”という見えない大事な糸を操りながら、自己のセンスを織り込むことに”ワクワク”を感じ、自分、チームそして応援してくれる人びとをハッピーにして繋ぐことに大きな喜びを感じるようになっていきました。

  

いまとみらい  

シンプルにできるだけ自然で心地よいモノを生活に取り入れていきたいと思っています。体や心によい影響を与えるモノを選ぶことで、地球にも少しでも良い影響を与えていくことも大事だと思います。I STILL AMでも世界のみんなとつながってポジティブな情報をシェアしていきますので、一緒に楽しくて前向きな未来を作っていきましょう!よろしくお願いします。


 

I STILL AM & K+P

HISAYA KADOI

 

                                                                                      

ABOUT K+P



はじめまして。K+P ことKADOI POTTERでうつわをつくり、I STILL AMのディレクターとしてオンラインショップを運営しておりますカドイヒサヤです。


これまで
                                                                                                            
生まれは静岡、温暖な気候な処で程よい田舎暮らしを経て、強い憧れであった東京へ。大学、そして就職を満喫、27歳にして自分探しの旅へとニューヨークへ。25年間の濃密なNY LIFEに別れを告げ、新たなる旅の地として日本へ移住を決意しました。
                                     

NY LIFE 

NYでは「日本酒ソムリエ&ディレクター兼レストランGM」として活動していました。英語もままならない状態で学生バイトからスタートし、コツコツと信頼を築きながらGMへと昇格。さらにソムリエの資格も取得し、素晴らしい仲間たちとともに成長する機会に恵まれました。

当時、海外では日本酒や日本食が今ほど知られておらず、NYでさえも認知度が低い時代でした。そんな中、「隠れ家SAKE BAR」のちに「日本酒の聖地」と呼ばれる場所を任せてもらえることになり、次第に"日本酒"に魅了されていきました。日本酒の奥深さを知るほどに、その文化に誇りを感じ、NYでまさに日本酒に恋をしました。

この情熱を世界へ伝えたくて、毎日テイスティングを重ね、接客を通じて学び合い、多くの蔵元とのつながりを深めながら、日本酒を海外で広めることを自分の使命と感じて熱く取り組んできました。

私たちの地道な努力はやがて実を結び、日本酒と日本食はNYから、そして世界へと広がっていきました。そこで得た貴重な経験と、出会った素晴らしい仲間たちに心から感謝しています。



刺激と衝撃

NYに日本のレストランが進出する話をよく耳にするようになった頃、私は有名飲食業態の2社がマンハッタンで新たに立ち上げるプロジェクトに誘われ、奮闘の末、軌道に乗せることができました。そんな中、私は"運命のレストラン"へのオファーを手にすることになります。

それは、NOHO地区にひっそりと佇む予約の取れない隠れ家レストラン&バー。歴史的建造物であり、かつてバスキアとウォーホルがアトリエとして使用していた特別な空間でした。センス溢れるフード&コンセプトは瞬く間に評判を呼び、世界中から訪れたいという声が殺到。

店は紹介制予約のみ、わずか26席のカウンターと小さなキッチン。それでも、場所と人のエネルギーが圧倒的に高く、FOODIEなニューヨーカー、アーティスト、ミュージシャン、映画監督、俳優、有名シェフなど、多くの人々が至福のひとときを求めて訪れました。

入口の場所さえ知らされず、友人や家族の紹介がなければ入れないという神秘性。ゲストは苦労して予約を取り、ワクワクしながら店の入口を探し、インターホンを押す。ドアが開き、スタッフが名前を尋ね、中へと案内する。その瞬間、まるでニューヨークのアパートに招き入れられたような、NYらしさと禅の精神が融合した"秘密の隠れ家"へと足を踏み入れるのです。

店内には五感を揺さぶる仕掛けが満ちていました。柔らかなダウンライトとオイルランプの灯り、ローズマリーの香り、熱々の鉄板が奏でる音、バーテンダーがカクテルをシェイクするリズム、禅を感じる室内ガーデンと月を望む天窓、壁を彩るローカルアーティストのアート、そしてウォシュレットまでもが、細部へのこだわりを物語っていました。

惜しくもこのレストランはコロナ禍を機に幕を閉じましたが、そこでの10年間は私にとってかけがえのない時間でした。

余談

深夜まで仕事をしていると、午前2時、3時頃、誰もいないはずの客室の天井や2階の階段からバスキアの歩く音や物音が聞こえてくることがありました。気がつけば、私は自然と彼に話しかけていたのです…。

 

LIFESTYLE


NYに住んでいると日常生活の中で本場の味やセンスを垣間見れることも多くて、仕事柄もあり様々な人種との出逢いを体験できたことは、とても価値があることであったと思っています。やはり”食べること”への興味とリスペクトって言うのは万国共通言語で、人をスマイルにさせて繋がることができることを確信できました。地産地消やオーガニックでサステナブルな生活も実践してきたので、今後は食に関してもI STILL AMのブログを通して発信していきたいです。K+Pの起源もNYに始まり、NYにいると周りにいる人はやはり”アーティスト”な人たちが多いわけで、そんなパッションを持った個性のある生き方に憧れ、いつの日か”自分もなりたい”と思うようになったのは事実で、そんな時”陶芸やってみたいな”とふと頭をよぎり、働く傍らにラッキーにも近所でスタジオを見つけはじめることになったのです。レストランでの仕事に関わっていたので、うつわや酒器には馴染みがあったのもきっかけとなったのは言うまでもなく、もう一つの理由には仕事がら家族と食事を取る時間がほとんどなかったので、家族が自分で作ったうつわで食事をしてくれたなら、なにか自分も同じ時間をシェアできるような感覚が生まれて、どこか安心できるのではないかという想いからでした。コロナ中、通っていたスタジオは閉まってしまい空白の2年が過ぎ、日本に帰国。ここでも不思議な縁で、NYで陶芸家として活躍していた偶然にも同郷だった方のもとで作陶できることが叶い、今こうして日本で新たな夢に向かい続けていくことができています。
    
みなさん、ぜひ応援よろしくお願いします。

 
  

K+P HISAYA KADOI